まいたけ作りに懸ける思い

新規事業への取り組み

当社は農業資材の小売業として起業しました。起業後、地元での雇用の要請を感じとり、当時盛況であった北洋漁業の製網部門の請け負いのために工場を建設。しかし間もなく北洋漁業が衰退を迎え設備、従業員の維持のために、新たな取り組みを求められました。

当時、新規事業の候補に挙がった中で、キノコの栽培に注目したのは日頃から資材の取引で関わりの深い農家の皆さんとの交流で、作物を育てる事の面白さに惹かれていたのと、収穫時の充実感、達成感というのは他では味わえないものだという実感があったからだと思います。

育成の面白さに目覚める

とはいえ今日決めたから明日から始めましょうという簡単なものではなかったですね。開業当時はビン栽培が主流だったのですが、それこそ風の当て方、湿度の具合など、ちょっとした変化で出来がおおきく違ってくる。

その当時、栽培では先行していると言われていた長野県や横浜など、とにかく視察に回って現場の工夫みたいなものを体感させていただきながら、どんどん、のめり込んでいきました。

舞茸と一口に言っても、種菌にも種類があり、育成場所となる厚沢部町の気候風土との相性もあります。もちろん事業ですから歩留まりといった生産性も重要ではありますが、しかしなんと言ってもやはり食べ物である以上は味わいにこだわりたい。株がバラけず、渋みが無い。天然の舞茸と食べ比べても見劣りしない肉質と歯ごたえが楽しめるという点が決め手になって現在の品種に決まったわけです。

難しさに、他社が諦めてゆく中で

通年での事業が可能なキノコ栽培の将来性に様々な地域で起業がありました。1970年代に人工での栽培法が確立された新しい産業だった事もあり、一種の流行だったように思います。もちろん北海道内でも、多くの起業が有りましたが、次第に、みな辞めてしまいました。安定した生産性を実現することが難しかったことが大きな原因だったように思います。

それこそ椎茸や松茸といった一般的な知名度の高いキノコと違い、歴史的には古くから知られていたものの、希少価値が高い天然物は一般には知られることのないまま取引されていましたので、馴染みが薄い。当社の製品を贈答品として初めて食べて感動したとのお礼状が届く事も少なくない。そんな励ましに支えられ、多角経営でやっと乗り切ってきたのが実態です。


25年目の決断─直売所を併設した第2工場を建設

最近では人工栽培の大量生産で、すっかりスーパーの棚にも定位置が用意されているほどお馴染みのキノコとして認知されました。

地元厚沢部町の名産品としても知名度を得て、問い合わせも増えました。10年前には無菌状態を保てる設備を持った新工場を建設。ビンによる菌床栽培中心だったものを密閉した無菌袋を利用する菌床栽培に変更して、より安定した品質の生産が出来るようになりました。

新工場には直売スペースも確保したことから、近隣市町村からもわざわざ足を運んで買い求めていただくお得意様も多数おりますので、これからも小さな改善を積み重ねることで、より天然物に近い味わいの舞茸栽培に励みます。

2011年 更なる社会貢献と可能性への新たな挑戦として隣接地、江差町の温泉熱源を利用した栽培に取り組みました。

江差工場バナー